清水国明さんは、タレントとして「噂の!東京マガジン!」にも出演しています。
そんな、清水国明さんは元々歌手としてデビューしていたようです。
今回の記事では、清水国明さんの経歴についてまとめてみましたので紹介します。
清水国明の経歴は「あのねのね」で歌手デビュー!
清水国明さんは、テレビ番組「噂の!東京マガジン」、「気ままに寄り道 バイク旅」に出演しています。
また、NPO活動として子供キャンプなどを開催するなどアウトドア関連のイメージもついていますね。
そんな、清水国明さんは大学時代に後輩の原田伸郎さんとのコンビで「あのねのね」を結成し、歌手デビューしています。
若い頃の清水国明さんです。
イケメンですね。
「あのねのね」は、フォークソングが特徴的で「赤とんぼの唄」でデビューし大ヒットを記録しています。
また、「あのねのね」の結成当初は京都産業大学法学部の学生複数人で編成していました。
その学生の中には、笑福亭鶴瓶さんとその妻の駿河玲子さんもメンバーだったそうです。
清水国明さんと、笑福亭鶴瓶さんは今でも仲が良いのかもしれませんね。
やがて、メンバーが脱退して清水国明さんと、原田伸郎さんコンビとなりました。
1973年に「あのねのね」が「赤とんぼの唄/魚屋のオッサンの歌」でメジャーデビューしました。
あかとんぼ あかとんぼの はねをとったらあぶらむし あぶらむし あぶらむしの 足をとったら 柿の種…
赤とんぼの唄
このような、コミカルな歌詞が受けて人気が高まりました。
「あのねのね」は、学業を優先するなどで音楽活動を休業していたのですが、2023年にはデビュー50周年に向けたライブを開催していました。
音楽活動の再会後も、「ネコ・ニャンニャンニャン」や「みかんの心ぼし」がヒットしています。
清水国明さんと原田伸郎さんは、個々の活動が目立ちますが時々「あのねのね」としても、活動をしているようです。
清水国明の若い頃はオートバイクレースでも活躍!
清水国明さんは、1982年に担当していたラジオ番組「真夜中ギンギラ大放送」でリスナーからの投稿はがきがきっかけで、鈴鹿8時間耐久ロードレースへの出場を宣言しました。
- 鈴鹿8時間耐久ロードレースへの出場
清水さんは、二輪の運転免許すらなかったのですが二輪免許を取得して、サポートクラブ団体「國武舞(くにぶぶ)レーシングチーム」を主催したようです。
清水さんは1983年鈴鹿4時間耐久レースでは、決勝20位で完走しています。
その後、清水さんは8時間耐久ロードレース出場に必要な国際A級ライセンスを取得しました。
1990年に元世界GPライダーの福田照男さんとのペアで、8時間耐久ロードレースを完走しました。
この大会で、鎖骨を骨折するトラブルに見舞われながらレースを完走し、この出場をもってレース界の引退を宣言しました。
清水国明のプロフィール
名前:清水国明 (本名:國明)
生年月日:1950年10月15日
年齢:73歳 ※2024年5月時点
出身地:福井県大野市
血液型:A型
所属事務所:あのねあのね事務所→清水国明事務所→株式会社kuniaki.plus
学歴:福井県立大野高等学校→京都産業大学法学部
資格・免許:小型船舶操縦士2級、社団法人カヌー連盟公認1級指導者、ロードレース国際A級ライセンス、剣道二段
清水国明さんは、タレント以外にも自然楽校を開校し、草刈り・伐採・ログハウスづくりなどの取り組みもしてます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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