レペゼンフォックスは、YoutubeやTikTokを中心に活動し、世界でも活躍の場を広げています。
そんな、レペゼンフォックスのリーダーDJ社長の右腕で専属マネージャーである、DJフミヤさんについてまとめてみました!
【レペゼン】DJフミヤは何者?
DJフミヤさんのプロフィールをまとめました!
DJフミヤのプロフィール
本名:出羽史弥
出身:兵庫県神戸市北区唐櫃台出身、幼少期は大阪府高槻市
生年月日:1993年12月2日(31歳)
両親二人は公務員
兄弟:4人兄弟の長男
身長:176cm
出身高校:私立金光大阪高等学校卒業
西日本旅客鉄道株式会社に所属するも2015年に退職
現在の職業:DJ、配信ライバー、DJ社長のマネージャー、トラックメーカー
フミヤという名前は、母親が藤井フミヤの大ファンで、生まれた年が藤井フミヤの代表曲「TRUE LOVE」のリリースされた年のため名付けられたようです。
DJフミヤさんは、小学校時代はピアノ、書道、極真空手、を学んでいたようです。
部活は卓球部に所属し、高槻市の大会で優勝経験があったようです。また、中学では軟式野球を始め、エースでキャプテン4番を務めていました。
勉強面でも、全国模試でトップになるほど文武両道の学校生活をおくっていたようですね。
高校時代では、私立金光大阪高等学校へ入学し、硬式野球部に所属するも、チームの中では下手な方だったようです。
プライベートでは、ギターを弾き語り、音楽の才能も伸ばしていきました!
経歴はJR西日本!
DJフミヤさんは、高校卒業後、
西日本旅客鉄道株式会社に所属しています!
JR摂津富田駅では駅長業務を務め、車掌・運転業務も経験したようです。
西日本エリアでは、安定した企業として人気が高く、倍率も高かいため、よく受かりましたね。
Youtube番組「街録チャンネル」より、DJフミヤさんは、3年位JR西日本に務めていたことが分かりました。
飛び込み事故に6回遭遇したことがあるようです…。
飛び込み事故を経験するのは、1年半で一生に一度あるかないかという確率らしいですが、DJフミヤさんは3年で6回も経験しています。
そのため、あだ名が死神で、「一緒に乗りたくない」と言われていたくらいのようです。
飛び込み事故が起こると、運転手は警察や救急車に状況報告、車掌は遺体を拾う役割になっていて、DJフミヤさんもバラバラになった遺体を拾ったことがあり、凄まじい経験をしています。
しかし、1時間以内に作業を終わらせなければならないため、躊躇していられなかったようです。
先輩がその状況を見て倒れたこともあり、一人でこなしていたとも語っています。
今のDJフミヤさんの覚悟や度胸はここで培ったのかもしれませんね。
そんな、DJフミヤさんは、洋楽が元々好きで、車掌時代に先輩とお台場へEDMのイベントの「ウルトラジャパン」に参加しました。
そこで世界的に有名なDJである、17歳のラッパー、マーティン・ギャリックスを見たようです。
その時に、17歳のDJが作った音楽が世界的にヒットになるなら自分でもできるのではと思い、親に
「JRじゃなくて、DJになりたい」
と伝えましたが、母親からあと1年本気でJRの仕事を頑張ってほしい、でもDJを諦められなかったら、DJを目指したらいいと言われたようです。
DJフミヤさんは、1年JRの仕事を頑張りましたが、それでもDJになりたい!と思い父親にそのことを伝えたら、
「お前大企業のサラリーマンのくせに何言ってんの?そんなん言うなら家出てってくれ」と、家を完全に追い出されてしまったとのことです。
今でも父親とは連絡が取れないようです。
その後、3年くらいDJを始め、夜のクラブを1日も休まず通っていたようです。
DJ社長の専属マネージャー
DJを目指すと決めたときに、父親から「お前本当は女が好きなんだろ」と言われ、DJ差別を感じたようです。
DJのイメージがどこに行っても、酒、女、ドラッグのイメージだったので、それを変えたくて世界的に有名なDJになる!という夢を持ったようです。
世界的に有名にならないと、DJのイメージは変わらない・・・
DJは経験がないとできないようですが、DJフミヤさんはクラブの面接時ハッタリを使い「俺だったら客を呼べます!」と言ってしまったようです。
しかし、ピークに掛かる曲を間違えてしまい、初DJではめちゃくちゃ怒られたようです笑。
そこから、3年間日本中のクラブを周り、DJとして活動していたのですが、オリジナルの曲を作っていないことに気づき、曲作りを始めたようです。
DJとしての経歴は
- USJにて、ミニオンズフェスなどの大きな音楽フェスでDJとしての参加
- 2020年にラッパーのLil Kingとともに「13WondarLand」アルバムをリリース。
- 2020年に始めたライブストリーミングサービス「17live」では、超祭パフォーマー部門で1位を獲得
- 提携事務所のグルービーワークショップは、DJ Magでは、日本国内ベスト6位
- ヒット作「Everybody Go So」はTikTokで1億近い再生数を獲得
結構DJとして評価されていますね!
また、その時にDJフミヤさんはチバニャンと出会っています。
チバニャンがレペゼンのDJ社長を紹介して、DJ社長と出会ったようです。チバニャンはレペゼンフォックスの曲を作っているトラックメーカーです。
この出会いが、DJ社長とともにレペゼンフォックスの裏方の仕事をするきっかけだったのですね。
また、DJフミヤさんは海外に行きDJとして様々なクラブを回ったようですが、海外ではあまり有名になれない状況でした。
その後、レペゼン解散ドームを見に行き、ドームにお客さんがが埋まっているところを見て、レペゼンについていけば、世界一になれる勉強ができるのでは?と考え、裏方でサポーターに回っているようです。
また、世界一有名なDJになったら、両親を呼んで「お父さんに認められたい」という夢もあるようです。
お父さんとは、絶縁関係にあるので、お父さんにDJとしての姿を見せたいですね!
DJフミヤさんは、アジアのクラブを転々と回っていたため、インドネシアのDJとも知り合いとなっています。
「インドネシア行きたい、紹介して!」
DJ社長に言われたため、DJ社長にインドネシアのDJを紹介していたようです。
その後、レペゼンフォックスが日本に帰ってきたときに、DJフミヤさんはDJ社長のマネージャーになったようです。
海外事業の展開をしており、色んな海外アーティストとのコラボやライブのブッキングをしているため、自分のDJの仕事はストップしています。
また、DJ社長は40億円を借りるときに、海外の投資家をつなげたのがDJフミヤさんのようです。
まとめ
今回の記事では、レペゼンフォックスのDJ社長の専属マネージャーDJフミヤさんについて、記事をまとめてみました!
DJフミヤさんは、DJになる前にJR西日本で働いていたことがあった、DJ社長の専属マネージャーとして、裏方サポーターをしていることがわかりました!
今後のレペゼンフォックスの活躍や、DJフミヤさんにも目が離せないですね!
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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