デヴィ夫人は、インドネシアの大統領夫人でしたが、現在はお茶の間に人気者になっています。
デヴィ夫人といえば、品があり80歳を過ぎても美しい美貌が特徴的です。
今回は、そんなデヴィ夫人の顔がハーフ顔の理由と、若い頃の画像もまとめてみました。
デヴィ夫人の顔がハーフ顔なのはなぜ?
デヴィ夫人のプロフィール
画像を見ると、はっきりした顔立ちで、日本人離れなハーフの顔立ちですが、どうなのでしょうか?
結構西洋人風に見えるので、ハーフ顔と思い込んでしまいがちです。
名前:ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ
旧名前:根本七保子(ねもとなおこ)
生年月日:1940年2月6日(83歳)
出身:東京都麻布区
国籍:インドネシア
身長:159cm
血液型:A型
デヴィ夫人の旧名は、根本七保子さんです。純日本人な名前で意外ですね。
夫人は、東京都麻布区霞町で誕生しました。太平洋戦争中は、母・弟と福島県浪江に疎開していたようです。
インドネシア建国の父である、スカルノ初代大統領と結婚し、国籍はインドネシアなっています。
デヴィ夫人の両親は日本人
夫人のご両親は、二人とも日本人ですが、二人とも容姿が淡麗のようです。
デヴィ夫人は、純日本人である根拠を話しますね。
こちらは、両親の画像ですが目がくりっとしていて、かなりモテていそうですね。
お父さんは根本平七郎さん、お母さんは政子さんです。
夫人の父方の父親は、根本兵三郎さん、母方の父親は笠原房治さんです。
夫人の祖母は分かりませんが、
- 夫人の両親と祖父は日本人であることが分かりますね。クォーターも否定できますね。
両親が日本人で、ここまでハーフ顔っぽくなることもすごいですね。
こちらは、学生の頃の夫人ですが、日本人離れの美貌です!
こちらの画像は、父親の根本平七郎さんと、夫人の小さい頃の画像ですね。
二人とも目元がキリッとしすぎていますね…
それだけ、目元がくりっとして、昔は珍しい濃い顔だちだったのかもしれませんね。
デヴィ夫人は海外生活が長い
デヴィ夫人は、海外生活が長く、インドネシア、ニューヨークに移住していた経験があります。
そのため、外国人のメイクを真似したり、海外の生活をすることで顔立ちが外国人のようになってきたのではないのでしょうか?
上の画像では、夫人は周囲の外国人と馴染めています。日本人とはわからないくらいですね。
- 夫人がハーフ顔に見られるのは、ご両親の容姿が淡麗だったことと、海外生活が長いからでしょうね。
デヴィ夫人の娘、孫も容姿端麗
こちらは、夫人の長女カリナさんです。とても綺麗ですね。
夫人の夫スカルノ元大統領と顔の形が似ています!
両親の顔の良いところが似ているのですね。
こちらの画像では、夫人のイケメンなお孫さん、キランくんです。
カリナさんの夫はオランダ人で、キランくんはクオーターにあたります。
孫のキランくんもカッコいいです。
デヴィ夫人の顔がクォーターや整形疑惑を調査!
デヴィ夫人は、幼少期に戦中~戦後を体験し、極貧生活で道端の草を雑炊の具にして生活していました。
今では考えられないですが、超極貧生活だったようです。
当時の写真からも、他の女学生と比べて濃い顔立ちなのが分かりますね。
また夫人の母親はさまざまな内職をして家計を支えていたため、夫人もアルバイトを早くからしていたようです。
さらに、父親の死がきっかけで高校を中退し、自分の容姿を武器に体一つで成り上がるために、高級クラブ店のホステスになりました。
本当に綺麗ですね。
- この頃は、昭和の中期のため整形技術も発達していなかったので、デヴィ夫人は、整形もせず美貌を保っていたことが分かりますね。
「東洋の真珠」と言われる意味が分かります。
赤坂の高級クラブ「コパカバーナ」で働くようになった夫人は、政界・経済界の大物の人たちとの人脈を手に入れます。
そのため、容姿が優れているだけではなく、政治・経済・習い事・趣味など、幅広い知識、経験を得るために勉強していたそうです。
そのため、高級クラブではトップホステスにまで成り上がったのです。
19歳のときにインドネシアの大統領が美貌に一目惚れし、1962年に結婚、デヴィ・スカルの夫人が誕生したのです。
スカルノ大統領も、デヴィ夫人の美しさに一目惚れしたくらい、きれいだったのが分かりますね。
まとめ
今回の記事では、デヴィ夫人の顔がハーフ顔なのはなぜ?クォーターや整形疑惑を調査!
ハーフ顔なのは
- 夫人がハーフ顔に見られるのは、ご両親の容姿が淡麗だったことと、海外生活が長いから
- 夫人の両親も、祖父も日本人なのでクォーターも否定できますし、当時の整形技術も今ほど発達していないので、整形も否定できることが分かりました!
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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